暗記数学は間違っている

暗記という言葉は適切ではない

まず、押さえておきたいのは、人間の記憶は暗記だけではないということだ。

英単語を「覚える」のと、自転車の乗り方を「覚える」のは違う。数学の解き方を「覚える」というのは、自転車の乗り方を「覚える」に近い。

自転車の乗り方を暗記した人がいないように、数学の解き方も暗記するものではない。

暗記という言葉の定義を確認しよう。Wikipediaの記述が参考になる。

暗記(あんき、諳記)とは、書いてある文章を見ないで口に出して言えるようにするために覚えること。記憶法の一種である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E8%A8%98

いわゆる、古文の暗唱のようなことを、暗記というのである。

「暗記数学」という言葉がよくないのは、人間の「記憶」が持つ本来の広がりを、「暗記」という言葉で塗りつぶして、矮小化しているところにある。

数学の解き方を覚えるのは簡単ではない

手持ちの英単語帳を、全て暗記できているだろうか?

もしできているというなら「たった2000語の英単語を暗記するのが、どれだけ大変だったか」ということを思い出してほしい。まだ覚えられていないという人には、思い出すまでもないことである。

2000語の情報量を覚えるのに四苦八苦しているのに、数学の解き方を何百問、何千問も覚えるなんて並大抵のことではないという想像力を働かせたい。

「解けないなら覚えれば良いんだよ」なんて簡単に言ってくれたものである。

問題が解けると一瞬で覚えられる

自転車の乗り方を覚えたとき、覚えようと思って覚えただろうか?

きっと、そうではなかったはずだ。「覚えよう」なんて思わず、ただ「転びたくない」とだけ思っていたことだろう。

そして、大人の補助を借りながらも、最終的には自力で転ばないで進めるようになったとき、自然に乗り方を覚えていたはずだ。このとき、「覚えよう」などという思考は一切介在していない。

数学も同じだ。覚えようと思わなくても、解けた瞬間にすべて覚えている。

自転車と同じで、最初は補助が必要かもしれない。ヒントを見たり、例題や類題を確認したりしても構わない。

とにかく、最後に自力で解けたという体験が重要だ。

覚えようとするだけが記憶ではない

楽しかったことや、辛かったこと、恥ずかしかったことなどは、嫌でも覚えている。

いわゆる受動的な記憶であり、暗記は能動的な記憶である。頑張って覚えたものより、忘れにくかったりする。

・「そうやって解くんだ」と感動してたら、勝手に覚えていた。

・楽しんで解いてたら、自然に覚えていた。

暗記数学という言葉からは、能動的な息苦しさを感じる。

記憶はもっと自由である。

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