10代の頃は、「やればできる」と思っていた

「やればできる」はやることを前提にしている

「AならばB」という論理は、「Aである」という前提を仮定している。

だから、「AならばB」という論理そのものが正しくても、「Aである」ということが言えなければ、「Bである」とも言えない。

「やればできる」も同じ理屈で考えることができる。やるというのは仮定であり、やらないかもしれない。「やらないから、できない」ということも、十分に考えられる。

実際、世の中には、努力を続けることが苦手な人がたくさんいる。「やらなかったから、できなかった」という結末を迎える人が、大勢いるのである。

「やればできる」と思ってしまうのは何故か

高校までの教育では、前提を疑うことをさせない。

「この問題は間違っているのではないか」「教科書に書かれていることは間違っているのではないか」などと考えたりはしない。

一方、大学で研究室に配属されれば、自分で課題を設定することになる。世の中の常識を疑って、問題点を見つけることから始まる。

子供の頃は、従順に、親や教師の言うことを聞くことが優等生の条件だし、その大人から「やればできる」「頑張れ」「サボるな」と言われて育つ。

若い頃ほど、やればできると思っているのは、このあたりに原因があるのではないか。

「やればできる」のにやらないで生きてきたんだね

「やればできる」と言う人の中には、野心のある人も多いだろう。「絶対にやってみせる」と思っているかもしれない。

しかし、それだけの野心があるのに、何故そのレベルで燻っているのか、何故やらないで生きてきたのか。

・体力がなくて、すぐに疲れてしまう

・じっとしていられず、他ごとを考えてしまう

・やりたいことを優先し、タスクを後回しにしてしまう

・「こんなことをしても無駄ではないか」という考えがよぎる

これらの理由も、さらに遡って考えれば、先天的な脳の傾向とか、後天的な思考の癖によって生じるものであり、根深い問題である。

「やらなくてもできる」人もいる

教科書を軽く読んだだけで、あるいは授業を聞いただけで、100点が取れるという人もいる。

だから、「やればできる」と豪語しても、かっこよくはない。

「やらないとできないくせに、やりもしない」という方が状況を適切に表しているからだ。

誰にとっても自分は特別だ。「自分はやればできる」「他の連中とは違う」そう思いたくなるのも無理はない。

だが、「やればできる」というのは当たり前である。やったかどうかで差がついただけのことだ。

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